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2014年6月11日 (水)

株式会社ゴーセン

 私は、ゴーセンの製品を、いろいろ愛用しています。ガット、Tシャツ、ゲームシャツ、パンツ、キャップなど、結構気に入っています。

 なぜ、ゴーセンを愛用するようになったかというと、株式会社ゴーセンの創業者が、洲本市出身ということを知ったからなんです。(もちろん、ゴーセンばかりを愛用しているわけではありませんよ。他のメーカーの製品も、たくさん使っています。)

 昨年の夏ごろ、その辺の歴史をもっと詳しく知りたいなと思い、ゴーセンさんへメールしたところ、大変詳しく教えていただきました。また、ブログへの掲載も許可いただいたので、この機会に、皆さんにもご紹介しておきます。

 淡路島の方なら、洲本の方なら、地元出身の大原玉之助さんが作った会社の製品だということを、もっと知ったうえで、これからも愛用していきましょう。


株式会社ゴーセン ラケットスポーツサイト

株式会社ゴーセン

以下、ゴーセン株式会社 経営企画部  広報・広告宣伝課 F様から、回答(2013.7.17)いただき、ブログへの掲載を許可いただいた内容です。

 

<株式会社ゴーセン創業者のプロフィールと社の歴史につきまして>

 

 

 弊社の創業者は、洲本市由良町出身の大原玉之助です。六人兄弟の下から三番目に生まれ、親は漁師でしたが、時化(しけ)で死亡したそうです。本人は勉強がしたかったようですが、小学校を卒業後、大阪の薬問屋に丁稚奉公に入りました。本人は目が不自由で(2級か3級の身体障害者手帳を持っていたようです)、薬の仕事が合わなかったようで、本テグスの仲買に新たな職を見出しました。当時、薬の荷造り紐に使われていたのが「荒テグス」で、それを磨いて繊度を均一に仕上げることで透明感を出したものが「本テグス」として釣りのハリスに多く使用されていました。玉之助はそこに着目したようです(「荒テグス」は中国産の「かいこ虫」から作られる天然繊維でした)。

 

 そして、大阪港に入った荒テグスの中から良質なものを見分けて仕入れ、当時優れた加工技術を持っていた由良に持って行きました(由良町の入り口には加工技術に功績があった前田重吉氏の記念碑があります)。なぜ目が不自由なのに良質の荒テグスを見分けられたのかという点については、驚くことに「耳からの情報(音)」で判断していたそうです。

 

 

荒テグスの繊度を揃える作業を「テグス抜き」と呼びましたが、この作業の従事者は約 700名位で、当時は特に工場は無く、全て数名の家内加工で対応していました。玉之助の六人兄弟の長兄はテグス抜きの名人だったそうです。本人もテグスを大きなカバンに詰め込んで行商に出ました。玉之助は気が優しい性格で、人と争うことを善しとしない彼は、あるとき、汽車で移動中に網棚に上げたカバンを誰かに持ち去られるのを黙って見過ごしたというエピソードも残っています。

 

玉之助の秀でたところは、商売のセンスがあり、計算が速く、地理に詳しく、アイデアマンだったと言われています。大阪の上本町六丁目で小さな釣具店を経営していたこともあります。1951年には、「大阪合繊延縄株式会社」を設立しました。しかし商売で不渡り手形をくらって、兵庫県の天神に引っ越しました。そして長さ45間の長い工場を買い取り、社名を「大阪合繊株式会社」に変更しました。ここでは、マルチフィラメント(千本以上のフィラメントを集積した糸)を手で撚って樹脂を塗る作業(「張り撚り」)からスタートしました。

 

 

戦後、東レが釣糸製品「銀鱗(ぎんりん)」を販売しますと、釣糸の素材は急速に本テグスからナイロンモノフィラメントに替わっていきました。東レからナイロン原糸の提供を受け、ゴーセンが洲本工場でモノフィラメントを紡糸し始めたのはそれからのことです。その後は、釣糸の製造技術を基に産業用加工糸、ミシン糸からテニス、バドミントンのガットへと製造分野を拡げていきました。逸早く安価で丈夫なラケット用ガットを開発製造したことで、シンセティック(人工)ガットの市場におけるゴーセンのシェアは、世界の60%を占めたこともありました。

 

 

由良にありました釣糸の製造工場は、2003年まで釣糸を製造していました。しかし合理化のため、2004年に兵庫県加東市天神に工場を統括しましたため、現在はもう工場はございません。

 

 

 

 大原玉之助は67歳という若さで亡くなりましたが、玉之助の愛した地元由良の自然と地元民の開拓者・技術者精神は、今も脈々と社員の心に息づいております。

 

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