団体優勝の翌日の個人戦
今回の全淡大会団体戦、女子優勝は、倭文中学でした。ところが、翌日の個人戦では、ベスト4には倭文中のペアの名前は、1組もありません。
私は、自分の学生時代を思い出してしまいました。団体優勝した後の個人戦というのは、なかなか勝てないものなのです・・・。
私は、ソフトテニスのとても弱い国立詫間電波高専(現香川高専)というところで、部活道に邁進していました。3年でキャプテンに任命された時、「四国大会団体優勝、全国大会出場!」という目標を掲げたんです。ソフトテニス部発足以来、四国大会優勝なんて、一度もありません。指導してくれる顧問の先生も、テニスは素人ですし、対外試合などもほとんどできません。練習の計画は、すべて私が考えました。高専なので、5年生までいますから、3年がキャプテンというのは、なかなか苦労もありました。
いろいろと工夫しながら、頑張った結果、3年の時に団体初優勝、5年の時にも、2回目の団体優勝を達成することができました。(4年の時は、準優勝)
2回全国大会へ出場することはできたんですが、団体優勝の翌日の個人戦は、まったく勝てませんでした。たしか3位が最高成績だったと思います。
団体優勝することに全精力を傾けていましたから、達成した日は、みんなで盛り上がってしまいました。もう、嬉しくて嬉しくて、遠征先の宿舎では、すべてが終わったかという感じでした。2度目の優勝の時は、「まだ個人戦があるのだから・・・」と、さすがに自重したつもりですが、やはり、緊張の糸が切れてしまった感じはありました。
団体戦翌日の個人戦でも、もちろん優勝を目指していましたが、なにか、前日とは心も体も違っていました。『昨日できたことが、今日はできないんです。』
自分では、個人戦も優勝できると自信を持っていたのにね。
テニスというのは、それほどメンタルに作用されるスポーツなんです。
倭文中の皆さんは、りっぱな顧問の先生がいらっしゃるので、メンタル面も技術面もしっかりサポートされていて、私達とはいっしょにできないと思いますが、なにかしら、個人戦では、団体戦のような戦いはできなかったんではないかと推測しています。
専門の顧問が不在のなか、高校大会では、常に県の上位に入賞したり、4年か5年の時は、県社会人大会優勝(B級)したりすることもできて、それなりに満足した学生時代だったと思いますが、もし、タイムマシーンであの時代に戻ることができるならば、団体優勝した日に戻って、もう一度、個人戦を戦いたいと思うことが多々あります。
今日は、私の思い出話で、失礼しました。
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