神戸新聞に掲載されました♪
本日付けの神戸新聞の朝刊に、洲本ジュニア設立10周年の記事が掲載されました。
思い起こせば、約15年前に娘達(小2と年少)が、KPIさんの硬式テニススクールに入会したことが、最初のきっかけだったと思います。硬式テニスを約3年間経験した長女は、中学校でもテニスを続けたいと言い始めました。
公立中学なら、硬式テニス部なんてないし、中学でやるなら軟式(ソフトテニス)だよなーって思い、長女は小6から、次女は小2から、ソフトテニスに転向することになりました。
当時、淡路島でソフトテニスの本格的なジュニアクラブはなかったのですが、いろいろ探し回って、喜田さんという方が、三原スポーツ少年団ソフトテニス部を指導していると知り、入会させてもらうことになりました。このクラブは、大会へ出場したりしないので、ソフトテニスの基本的な練習が中心のクラブでした。ここに入会させてもらったことがきっかけとなり、私も昔取ったなんとやらで、久しぶりにラケットを握り、コーチのお手伝いをするようになりました。
私のコーチとしてのイロハは、すべて喜田コーチから学んだものだと、感謝しています。
長女は、1年間お世話になったおかげで、中学校の部活がスムーズにスタートを切りました。県の1年生大会(のじぎく杯)で、5位に入賞できたのは、こちらで教えていただいたおかげだと思います。
次女(まさえコーチ)は、小2から三原スポ少でソフトテニスをスタートし、洲本の子供達も増えてきたので、喜田コーチからの薦めもあって、私は、洲本ジュニアソフトテニスクラブを設立し、監督としての活動が始まりました。
まさえコーチが小4の春(2011年4月)の話です。この時から、日本ソフトテニス連盟と兵庫県小学生ソフトテニス連盟へ加盟し、試合出場を目標にした練習がスタートを切ったのです。
何が一番苦労したのかというと、20年離れていたソフトテニスの世界です。ルールも違えば、道具もずいぶん進化していました。また、学生時代、徳島と香川でソフトテニスをしていた私には、淡路島という地域で、ソフトテニスの知り合いは喜田コーチ以外にいなかったのです。
すべてがゼロからのスタートでした。娘の通う大野小学校の同級生たちを、ソフトテニスに誘うところから始めました。その時のメンバーが、今でも顔を出してくれる先輩たちですね。本当に永いつき合いになりました。
それから10年間、多くの方がコーチとしてお手伝いしてくれたり、保護者として多大な協力をしていただきました。なかでも、一番そばにいる妻は、雑用も含めて、もっとも協力してくれた最大の功労者だと感謝しています。
私一人では、何にもできなかったでしょう。卒団していったOB,OG達も、ことあるたびにテニスコートへ顔を出してくれて、後輩達の指導や練習相手をしてくれました。これにも、感謝しています。それがあったからこそ、今回の近畿小学生大会への初出場(長瀬・中川ペア)へと繋がっているのですから。第1期生が、コーチとして帰ってきたことも嬉しいことでした。
淡路島の子ども達へソフトテニスの楽しさを伝え、盛り上げると共に、中学、高校のレベルアップを図るという秘めたる目標もありました。
この10年間で、OB,OG達の活躍は、素晴らしい実績だったと、自己評価しています。
中学OB,OGで、近畿大会には毎年のように出場するようになり、なんと12名。最高成績は、春の都道府県対抗戦で兵庫県代表メンバーに選ばれ、団体戦で日本一になりました。個人戦も、全国ベスト16という好成績でした。
高校OB,OGでは、インターハイ出場者4名(今夏の1名も含む)、春の全国選抜出場3名、アゼリア国際大会出場2名、国体県代表1名というりっぱな成績です。
これからも、先輩達の成績を超えるような選手が、次々と誕生してくれることを楽しみにして、洲本ジュニアの活動を続けていきたいと思っています。
『明るく、楽しく、元気よく!』をモットーに、挨拶がきっちりできて、礼儀正しい、ソフトテニスが大好きな子供を、たくさん育てていきます。親も子もいっしょに頑張っていきましょうね。
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